![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
いえなみ 家並
「……長い間母親が使用する5色に限られていたが、石膏を混ぜた白によって色彩の数が増え、さらにこの作品ではより鮮やかな色彩が新たに使用されるようになり色彩が豊かになった。中間色によるアクセントが見られなくなっている。青は震え、鮮やかな緑が鋭い声をあげ、朱色がぶんぶん音を立てている。灰色の色点が施された多彩色のユトリロ独特の古い壁は、このけたたましい色彩の調和から逃れることなく、ユニゾンで歌っているようであり、壁の傷と汚れには薔薇色が施されている。(T.N.)
カテゴリー:作品
大下藤次郎とは?【 作家名 】 東京都に生まれる。1891年中丸精十郎の画塾に入門し、眞野紀太郎、三宅克己らと知り合う。1893年明治美術会の会員となる。1898年オーストラリアに旅行。1901年太平洋画会の創設に参加。翌年渡米してボストンで水彩画展を開催し、1905年、水彩画の研究団体春鳥会をおこし、機関誌として『みづゑ』を創刊。翌年、丸山晩霞、眞野紀太郎らとともに水彩画講習所を開設。1907年、講習所を移転新築して新たに日本水彩画会研究所を設立。太平洋画会、文展に水彩画を出品し、水彩画の普及につとめる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||