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もんまるとるのさくれくーるきょうかいどうとさんぴえーるこうえん モンマルトルのサクレ=クール教会堂とサン=ピエール公園
パリの破壊についてのモーリス・ユトリロの手紙、1925年頃。 堤防を超えてほとばしり、行く手にあるものをすべて破壊していく激流を見るかのように、モンマルトルの聖なる古い建物の取り壊しは、神聖なモンマルトルの丘の心臓部にまで深く食い込んできました。この丘の歴史的な場所のかけがえのない価値などものともせず、金もうけしか考えない脳みそにあおられて馬鹿げた物が立っていきます。なんとか彼らがモンマルトルのサクレ=クール教会堂に敬意を払い、それを味気なくつまらない外観の建物で取り巻かないことを望むしかありません。 神の救いを祈りましょう。モーリス・ユトリロ、V.(K.S)
カテゴリー:作品
鹿子木孟郎とは?【 作家名 】 1874年岡山県に生まれる。1888年岡山高等小学校を卒業、松原三五郎の天彩画塾に学ぶ。1892年上京して小山正太郎の不同舎に学ぶ。1900年渡米、翌年イギリスを経てパリに留学。ジャン・ポール・ローランスに師事する。1903年ベルギー、スイス、イタリアを巡歴。翌年帰国、京都高等工芸学校講師となる。また太平洋画会に参加し多くの作品を発表。1905年浅井忠らと関西美術院を設立。翌年再び渡仏、サロンに入選。文展審査員に選ばれ、第7回文展まで審査員をつとめる。1916年渡仏、1918年帰国し京都に下鴨画塾を開設。1924年帝国審査員となり以後歴任。1932年仏政府より勲章を受ける。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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