ぐるぐるアートワード
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ぐるぐるもくじ


海景−「聖クレア」シリーズより



回顧作品その2−ピンポン・ルーム, 1960−



海藻



階段をおりる裸体 No.2



甲斐庄楠音



海浜遠望



海浜風物図



解剖学



買物帰りの女[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



海陸戦斗図



帰り来る舟



花下躍鯉図







かがみ込んだ裸婦



鏡の前の装い



輝く光の中 No.4



かきつばたと蛙『エスタンプ・オリジナル』誌第8号より



書きものをする娘



郭子儀



角ばった肩の生きもの


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かいのしょう ただおと

甲斐庄楠音

1894年京都府に生まれる。1978年没する。京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校に学ぶ。在学中から、村上華岳入江波光榊原紫峰らと交流。1918年の第1回国画創作協会展に出品した〈横櫛〉の官能的な表現によって一躍注目された。その後、1924年に同会の会友に推され、1926年の第5回展では会員となっている。この間、第4回帝展にも出品している。国画創作協会解散後は、新樹社の結成に参加するが2回展で解散。その後、画名を甲斐荘から甲斐庄に変えながら制作を続けるが、1941年頃から溝口健二監督に招かれ、映画の世界に移る。以後、溝口映画ほとんどの衣装、風俗考証を担当。1955年、「雨月物語」がアカデミー賞衣装部門にノミネートされた。


カテゴリー:作家
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入江波光とは?【 作家名 】

1887年京都府に生まれる。本名は幾次郎。1902年(明治35)森本東閣に入門、波光の号を受ける。同年京都市立美術工芸学校に入学。1907年、同校の研究科に入る。この年第1回文展に〈夕月〉を出品し入選。1907年京都市立絵画専門学校が設立され、2学年に編入、11年卒業し、さらに研究科にすすむ。この間、新古美術品展に出品し、受賞を重ねる。1913年(大正2)、京都市立絵画専門学校嘱託として、古画模写のため東京美術学校、東京帝室博物館へ派遣される。1918年、国画創作協会が結成され、第1回展に〈降魔〉を出品し国画賞を受賞、翌年同会同人となる。第2回展に〈臨海の村〉を、第3回展に〈彼岸〉を出品。1922年渡欧し、〈南欧小景(聖コスタンツァ寺)〉などを制作した。1928年(昭和3)の国画創作協会解散後は、仏画などの小品を制作する他は、文部省の依嘱による法隆寺金堂壁画の模写に専念した。1918年に京都市立絵画専門学校助教授、36年同校教授となり、後進の指導に尽力した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)

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