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かいのしょう ただおと 甲斐庄楠音
1894年京都府に生まれる。1978年没する。京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校に学ぶ。在学中から、村上華岳、入江波光、榊原紫峰らと交流。1918年の第1回国画創作協会展に出品した〈横櫛〉の官能的な表現によって一躍注目された。その後、1924年に同会の会友に推され、1926年の第5回展では会員となっている。この間、第4回帝展にも出品している。国画創作協会解散後は、新樹社の結成に参加するが2回展で解散。その後、画名を甲斐荘から甲斐庄に変えながら制作を続けるが、1941年頃から溝口健二監督に招かれ、映画の世界に移る。以後、溝口映画ほとんどの衣装、風俗考証を担当。1955年、「雨月物語」がアカデミー賞衣装部門にノミネートされた。
カテゴリー:作家
エングレーヴィングとは?【 美術用語 】 版画技法。銅版画は、凹版を製版する技法によって直刻法と酸腐蝕法に大別できるが、これは前者の内の一つで最も単純なもの。銅板にビュラン(断面が正方形か菱形の刃をもつ彫刻刀)で線刻し、そのV字型に彫られた凹部にインキをつめ、プレス機で紙に刷り上げる。ビュランで版材を完全に刻り取ってしまうので、ドライポイントのようなまくれもエッチングのような腐蝕による線のくずれもない、冷たく硬質な線が最大の特徴である。単純な技法ではあるが、抵抗の大きいビュランを自在に操り、髪の毛の数分の一の線からあらゆる太さの線までを彫刻するには相当の熟練を必要とする。「エングレーヴィング」とは正に「彫刻する」意である。15世紀前半には、最初のエングレーヴィング版画が登場している。彫刻に用いる刀の名をとって「ビュラン」と呼ぶことも多いが、その場合は同じくビュランを用いる木口木版もその中に含めて考えることができる。 |
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