ぐるぐるアートワード
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山麓で羊といる少女



サン=ロック教会



サーレ



サー・ウィリアム・マクスウェル将軍の肖像



The Signified or If No.1



The Signified or If No.2



The Signified or If No.3



The Signified or If No.4



The Signified or If No.5



The Signified or If No.6



The Signified or If No.7



ザヴジェル



ザガッタ



雑誌「青騎士」



雑誌「自由」(ラ・リベルテ)



雑誌「微笑み」(ル・スリール)



雑誌「ル・ポンポン」



ザツキン



『ザ・ライフ・オブ・マン』



ザルテン


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かいのしょう ただおと

甲斐庄楠音

1894年京都府に生まれる。1978年没する。京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校に学ぶ。在学中から、村上華岳入江波光榊原紫峰らと交流。1918年の第1回国画創作協会展に出品した〈横櫛〉の官能的な表現によって一躍注目された。その後、1924年に同会の会友に推され、1926年の第5回展では会員となっている。この間、第4回帝展にも出品している。国画創作協会解散後は、新樹社の結成に参加するが2回展で解散。その後、画名を甲斐荘から甲斐庄に変えながら制作を続けるが、1941年頃から溝口健二監督に招かれ、映画の世界に移る。以後、溝口映画ほとんどの衣装、風俗考証を担当。1955年、「雨月物語」がアカデミー賞衣装部門にノミネートされた。


カテゴリー:作家
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浅井忠とは?【 作家名 】

東京都に生まれる。1863年父の死去のため家督を相続し佐倉に帰郷。翌年佐倉藩の絵氏黒沼槐山に花鳥画を学ぶ。1873年上京し、箕作塾で英学を学び、1876年国沢新九郎の彰技堂に入門。初めて西洋画の初歩を学び、工部美術学校に入学してフォンタージに師事する。1878年フォンタネージの帰国後、後任のフェレッティを不満として美術学校を退学。1899年明治美術界を創立。1898年東京美術学校教授となる。1900年渡仏し、パリ近郊のグレーなどに滞在。1902年パリを立ち、イタリア、ドイツ、イギリスを巡歴して帰国。東京美術学校を辞し、京都工芸学校教授に就任して京都に移る。1903年自宅に聖護院洋画研究所を創設。1906年関西美術院を開設し、初代院長となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)

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