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ゆきのむーらんどらぎゃれっと 雪のムーラン・ド・ラ・ギャレット
雪に覆われたモンマルトルとムーラン・ド・ラ・ギャレットは凍えている。ユトリロが崇拝する美しき“ジャンヌ(・ダルク)”の神秘的な魂のように純白な雪。この作品ではすべてのものが、自分を引きずり込む脅迫観念から、三つの神徳によって抜け出すために集められている。 過ぎ去りし日々を思い出させるように、そのすらりとした翼をはためかせる音をユトリロが朝夕耳にしたムーラン・ド・ラ・ギャレットの大きな風車を中心にしたモンマルトル。母と純なるジャンヌ・ダルクのような女性たちの無垢を象徴する雪。ここでは命あるものは喧騒の場に退いており、赤と褐色と白のシンフォニーから聖性を奪いとらないように身を潜めている。 雪は今は、静かにメランコリックに落ちてはおらず、風景を覆って横たわっている。悲しき人々のいない雪景色。 ただユトリロの心だけが、初めて人生の苦しみを知ったこの場所に再び身を置くべく、色の調子についてじっと考えをこらしている。 ユトリロは、人が自分より以前には見なかったものを見るすべを心得ていた。彼は自らの思想から、瞑想にふさわしい場をつくり出した。「人は知識を得れば得るほど知恵を失い、便利になればなるほど見る力を失う」(K.S.)
カテゴリー:作品
モーリス・ユトリロとは?【 作家名 】 1883年、フランス、パリに生まれる。母はモデルで画家のシュザンヌ・ヴァラドン。父は不明。10歳ごろより飲酒を覚え、17歳で最初のアルコール中毒による入院。医師の助言と母の説得で、治療のため絵を描くようになる。ほとんど独学で絵を学び、印象派的な時期を経過して、1908年ごろ、白を基調とする「白の時代」に到達する。1909年サロン・ドトンヌに出品。1913年最初の個展を開催、評判となる。1915年ごろから鮮やかな色彩が現れ始める。1919年ルプートル画廊の個展が大成功を収める。一方、アルコール中毒は治らず、何度となく入退院をくりかえす。1928年レジオン・ドヌール勲章を受章する。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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