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きむら しこう 木村斯光
斯光は京都のひと。本名健吉。絵専の研究科を終了した後は、菊池契月に師事する。大正10年第3回帝展に「春宵」が初入選、第6回展「立華」、第8回展「春」、昭和4年第10回展で「牟礼の義経」が特選となり以後無鑑査。初期の抒情的ロマンが、師契月ふうの線描の美しい表現になっていたが、昭和6年第12回帝展「傾く日ざし」を最後に病気のため、同29年まで出品していない。戦後の新日展では、現代美人画を発表したが、同44年以後は、出品を止め、勝田哲、堀井香坡らとの悠采会展のみに発表するようになった。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)
カテゴリー:作家
未来派とは?【 美術用語 】 20世紀初頭、イタリアを中心に興った芸術運動。1909年2月20日、詩人マリネッティがパリの日刊紙『フィガロ』紙上に最初の「未来派宣言」を発表し、10年3月8日ボッチョーニ、カルラ、ルッソロ、バルラ、セヴェリーニがトリノの劇場で観衆を前にイタリアで最初の未来派運動宣言を行なった。新時代はそれにふさわしい生活様式と表現を必要とするとし、いっさいの過去を精算して速度とダイナミックな力の渦巻く機械文明の感覚を力強く表現することを主張した。造型の観点からは、対象の物質性を破壊してキュビズムから得た同時代性の思想を画面に定着し、運動の表現に新たな道を開いた点が注目される。運動としては1915年頃までで終ったが、ダダをはじめ20世紀芸術の諸運動に与えた影響は少なくない。印刷物を通じた幅広い広報活動をおこない、大正10年代の日本の美術・文学にも多くの影響を与えた。 |
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