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ゆきのぶーるられーぬどおり 雪のブール=ラ=レーヌ通り
ユトリロのことを考えたとき、いつも思い浮かぶのは雪に覆われた景色である。それは昔の思い出を魔法のように描き出した、現実にはない絵はがきである。そこでは、もうすぐ雪が降りそうだったり、現に降っていたり、降りやんでいたりするする…… この絵はがきのような作品は早朝に描かれ、カフェからは肌やタバコや、血のように流れるワインの匂いが漂ってくる。 もっと親しくさせようと思って、決して画面に描こうとしなかった人々というのは、広場のように過去や歴史やありふれた考えの持ち主であった。 フランス美術はヴァラエティに富み、極めて多方面にわたっているが、そこには一つの共通点がある。それは、画家の夢に捉えられた都会から田舎に至る光景が攪拌されているが故と思われる。(K.S.)
カテゴリー:作品
森田恒友とは?【 作家名 】 1881年埼玉県に生まれる。上京して小山正太郎の不同舎に入門。東京美術学校西洋画科にすすみ、卒業後進学していた研究科を1907年(明治40)やめ、石井柏亭、山本鼎らと同人雑誌「方才」を創刊する。また詩人北原白秋らとパンの会を起こす。同年開設された文展に入選。その後一時、秋田や大阪で教員や新聞社に就職するが再上京し、1914年(大正3)渡欧する。帰国後は、セザンヌやドーミエ、またキュビスムに影響された作品を発表する。翌年、二科会の会員になる一方、院展洋画部に出品し、翌年同人に推挙される。また同年、小川芋銭、川端龍子、小川千甕らとともに日本画家の団体珊瑚会を結成。しだいに水墨画家の活動もはじめる。1917年、院展に専念するため二科会を退会。1920年には院展同人とともに日本美術院を脱退、1922年春陽会を結成し、以後ここを中心に活動する。1932年(昭和7)食道癌のため入院し、翌年逝去。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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