ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


ウィルソン



ウィルソン



ウィルソン



ウィン



ウィークス



ウィーベルト



ウィーン幻想派



ウィーンコウボウ



「ウィーン工房年鑑」



「ウィーン工房の一作家の手帳」



「ウィーン工房の1906年1月24日の舞踏会への招待状」



「ウィーン市、シラー記念刊行物」



「ウィーン市舞踏会」



「ウィーンの風景画」



ウィーン分離派のための蔵書票



「ウィーン分離派の8年間」



Weight without Place No.1



ウェイル



ウェスレー



ウェッセルマン


<前 (15/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


あるばめんのさいげん

〈ある場面の再現〉

作家名:マルク・ランメルト
制作年:1995年
技 法:油彩 キャンバス
この作品は、4つの部分からなるシリーズものである。署名あり。-----マルク・ランメルトは、1960年ベルリンに生まれる。1976-86年ベルリンのヴァイセンゼー美術大学でハインリヒ・テスマーに師事し、89-92年ベルリン芸術アカデミー職業学校でヴェルナー・シュテツァーに師事する。1994年ベルリン市政府大臣文化奨学金を、96年には社団法人ボン芸術基金奨学金を授与される。現在、ベルリン在住。出品されている作品は、まだ枠に張られていないキャンバスに油彩で描いた衣装であり、劇的な平面作品とはほど遠いところにある。しかし、これらはそれぞれ異なった個性を持ち、背筋を伸ばしていたり、前屈していたり、横向きに跪いていたり、胸を張って正面を向いていたりする。想像してみよう、俳優が去ってしまった後の舞台衣装のことを。


カテゴリー:作品
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

グスタフ・クリムトとは?【 作家名 】

1862年ウィーンに生まれる。1876年に奨学金を得てオーストリア芸術産業美術館付属の工芸学校に入学、7年間同校に学ぶ。1883年、弟エルンスト、同窓のF.マッチュと共に美術家協会を設立し、ブルク劇場やウィーン美術史美術館など多くの装飾画を手掛ける。この時期の作品はいまだアカデミックな画風で描かれており、ブルク劇場のフレスコ画の制作によって勲章を授けられたが、1897年にウィーン分離派を結成し、その初代会長となると、アール・ヌーヴォー様式を大幅に取り入れた独自の様式を成熟させていった。1903年にはウィーン工房の設立に協力し、翌年、ブリュッセルのストックレー邸の食堂のためにモザイクのフリーズを制作し始める。この間、ウィーン大学の壁画やマックス・クリンガー展のための《ベートーヴェン・フリーズ》が賛否の渦を巻き起こす。1905年分離派を脱退し、翌年オーストリア美術家連盟を結成、1908年の「クンストシャウ」に出品した《接吻》が国家買上げとなる。第9回ベネチア・ビエンナーレ(1910年)で「クリムトの部屋」が設けられたり、1911年のローマ国際美術展で最優秀賞を獲得したりするなど、ヨーロッパ美術界で重きをなしていった。1917年、ウィーンとミュンヒェンの造形芸術アカデミークリムトを名誉会員に迎る。1918年ウィーンで歿。(「ホフマンウィーン工房展」図録 1996年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

グスタフ・クリムト

キーワードを含む記事
21件見つかりました。

  「アレゴリー 新シリーズ」

  「アート・リバイバル・イン・オーストリア」

  「ウィーン工房年鑑」

  オットー・ヴァーグナー

  「女たち」

  「オーストリア造形芸術家協会(分離派)−〈ゼツェッシオン〉−年報第1号」

  「オーストリアのポスター芸術」

  壁紙のデザイン

  グスタフ・クリムト

  「グスタフ・クリムト」

  「グスタフ・クリムト」

  「グスタフ・クリムトの作品」

  「グスタフ・クリムトのスケッチ」

  ブロンシア・コラー=ピネル

  オーギュスト・ジャコメッティ

  「第18回分離派展カタログ」/(グスタフ・クリムト)

  「第99回分離派展カタログ」/(クリムト記念展)

  リヒャルト・テシュナー

  レオポルト・フォルストナー

  カール・モル


<前   次>

徳島県立近代美術館2006