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あかをみることができない

〈赤を見ることができない〉

作家名:カタリーナ・ジーフェアディング
制作年:1995年
技 法:カラー写真、アクリル絵の具
4枚からなる1シリーズの内の2点を展示。展示作品は、《赤を見ることができないIII》と《赤を見ることができないIV》の2点。-----カタリーナ・ジーフェアディングは、1944年プラハに生まれる。1963-64年ハンブルグ造形芸術大学で、64-67年デュッセルドルフの州立美術アカデミーで学び、テオ・オットーに師事する。ここでは舞台装置のクラスに属した。1963-67年舞台でのインスタレーションを手がける。1972-88年デュッセルドルフ国立芸術アカデミーでヨゼフ・ボイスに師事する。1972-92年アメリカ合衆国、中国、ソ連に研究滞在。その後、ハンブルク造形芸術大学客員教授、ベルリン芸術大学教授となる。1994年ドイツ批評家賞を受賞。現在、デュッセルドルフ在住。カタリーナの顔。それは、長年見続けてよく知っているもの。この顔に、私たちは幾度も出逢うことができる。美しく、集中力があるが、よそよそしい。それは、自らを示しながら、他者に問いかけている。そう、視線はいつも、他者を俳優にする。


カテゴリー:作品
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安田靫彦とは?【 作家名 】

1884年東京都に生まれる。江戸時代から続く料亭「百尺」の三代目安田松五郎の四男。本名新三郎。1898年(明治31年)に土佐派の伝統を継ぐ大和絵の小堀鞆音に師事する。同年第1回日本美術院展に出品、また同門の磯田長秋らと紫紅会を結成する。翌99年第7回日本絵画協進会に出品し、褒状2等を受賞、翌年の第8回展でも同賞を受ける。1900年、紫紅会を紅児会と改称、以後、同会を中心に研鑽をつむほか、師鞆音が主唱する歴史風俗画会に参加して故事と古美術研究を深め、日本美術院にも出品する。1907年、国画玉成会の創立に参加するほか、東京勧業博覧会と第1回文展に出品してそれぞれ受賞。画壇で認められるようになり、岡倉天心の知遇を得る。1913年(大正2)紅児会が解散し、天心が没したのちは、翌年の日本美術院再興に参画し同人となる。以後再興院展を主な活躍の場とした。1934年(昭和9)帝室技芸員、翌年帝国美術院会員、44年から51年まで東京芸術大学教授をつとめた。1948年には文化勲章を受賞した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)

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