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むだい 無題
消火器とゴミバケツ。どちらも共通した特徴は、部屋の片隅に収まりがよいことくらいのもので、これら二つの出会いは、ましてやそれが展示室の中ともなれば奇妙にうつるのが当たり前だろう。加えて、ゴミバケツは今さきに人がなにかを投げ入れたかのように、その余韻を残している。ゆらゆらゆら。作家はこれらにもう一つのタイトルを授けている。”男と女”である。消火器から伸びているゴムホースはゴミバケツに触れ、ゴミバケツは消火器の隣でのんきに、幸せそうにスウィングしている。
カテゴリー:作品
川合玉堂とは?【 作家名 】 1873年愛知県に生まれる。1957年没する。本名芳三郎。京都に出て、望月玉泉に師事。玉舟の号を与えられた。明治23年(1890)第三回内国勧業博覧会に出品する際、玉堂と改号。同年、玉泉の許可を得て幸野楳嶺の画塾に移った。竹内栖鳳、菊池芳文は同門。楳嶺の没後、明治29年(1896)に上京し、橋本雅邦に入門。日本美術院の創立に際して、師の雅邦とともに参加。受賞を重ねた。文展が開設されると審査員をつとめ、以後同展を中心に活躍した。東京美術学校教授、帝室技芸員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、日本芸術院会員を歴任。昭和15年(1940)には文化勲章を受賞した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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