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てんし 天使
ある日、突然神の啓示をうけて彫刻の制作を始めたという作者は、美術教育を受けてはいない。しかしながらこの作品には、稚拙ながらも民族独特の美意識がじつに素直に表現されているといえよう。中心軸を持ち、おおよそ左右相性に展開する正面では力と内なる精神性がよく調和している。この作品は墓碑としての役割を担うものでもあり、そういった意味でも美術作品としては独特の性質を持つものである。
カテゴリー:作品
高橋由一とは?【 作家名 】 1828年東京都に生まれる。1862年蕃書調書画学局に入り、川上冬崖の指導をうけ、画学心得となる。1866年横浜でワーグマンの指導を受ける。翌年パリ万国博覧会に洋風画を出品する。1871年大学南校画学掛教官となり、1873年天絵楼を創設する。1876年フォンタネージの指導を受け、翌年第1回内国勧業博覧会出品、三等賞受賞。1879年画塾を拡張、天絵学舎と改める。1881年県令三島通庸の委嘱で山形県下新道の油彩画を描く。1884年天絵学舎を廃校、県令三島通庸の委嘱で栃木、福島、山形の新道を写生する。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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