![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() ![]()
|
いかろす3![]() イカロス III ![]()
フェリックス・ルーランは金属彫刻を専門とするベテラン作家である。その作品はナミュール文化会館、ブリュッセルの地下鉄ティフェリー駅をはじめとするベルギー国内各所、パリのワロン・ブリュッセル・センターなどに設置されている。大工の息子として生まれた彼はマルツ美術学校を卒業した後、しばらく生活のために家具・調度品や細工物のデザインに携わっていたこともあった。この頃制作した作品は、鉛を素材とした抽象的な構成によるレリーフ状の作品であったが、1966年頃から人体を造形の要素として取り入れるようになり、壁や柱の裂け目、あるいは断面から手や顔の一部が覗く独自のイメージを生み出した。彼はこれを蝋型法を用いて制作している。鉄、鋼、ブロンズ、アルミニウムなど金属の特性を活かした作品は、現代における神話とでもいった趣がある。(「ベルギー現代美術展」図録 1994年)
![]()
カテゴリー:作品
![]() ![]() ![]() 構成主義とは?【 美術用語 】 ![]() ロシア革命前から1920年代にかけてソ連で展開された芸術運動。ウラジーミル・タトリンが1913年に始めた鉄板や木片によるレリーフを「構成」と呼んだのを発端とする。現実の素材による非再現的構成という造形理念は、ロドチェンコなど多くの共鳴者を得て、構成主義という運動に発展し、モスクワの前衛美術界を、マレーヴィチの提唱したシュプレマティズム(絶対主義)と二分した。革命後は、革命政府の美術政策の推進勢力となり、絵画、彫刻をブルジョワ芸術として否定するとともに、鉄・ガラスなどの工業生産物の使用と社会的効用性を主張し、建築・デザイン・舞台美術などの分野にも拡がり、1920年には造形芸術の各分野をほとんど支配した。運動としては1919年頃から効用派と純粋造形派とに分裂し、純粋造形派のペヴスナー、ガボらは運動を離れ、効用派もその後産業との一体化を推進したが1930年代に政府より批判され終結したが、国外の抽象芸術運動に与えた影響は大きい。タトリンの「第3インターナショナル記念塔(模型)」はその代表的作品。 ![]() ![]() ![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |