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あるとーはへいしたちのまえでかたる 〈アルトーは兵士たちの前で語る〉
クラウス・フォム・ブルッフは、1952年ケルンに生まれる。1975-76年カリフォルニア美術研究所(ヴァレンシア、アメリカ合衆国)、76-79年ケルン大学哲学科で学ぶ。1992年よりカルルスルーエ造形大学教授となり、現在、ケルンに在住。この作品は、詩人アントナン・アルトーの記憶に基づいている。ドキュメンタリー映画から取り出された若い兵士たちがくずおれる「死の舞踏」が容赦なく繰り返されている傍らで、小さな骸骨が踊っている。そして、さらに別の映像では、子どもたちが愉しそうな様子で笑っている。しばらくすると、これはダッハウ収容所を解放したアメリカ人のまなざしを追体験しているということに気づくのである。
カテゴリー:作品
浅井忠とは?【 作家名 】 東京都に生まれる。1863年父の死去のため家督を相続し佐倉に帰郷。翌年佐倉藩の絵氏黒沼槐山に花鳥画を学ぶ。1873年上京し、箕作塾で英学を学び、1876年国沢新九郎の彰技堂に入門。初めて西洋画の初歩を学び、工部美術学校に入学してフォンタージに師事する。1878年フォンタネージの帰国後、後任のフェレッティを不満として美術学校を退学。1899年明治美術界を創立。1898年東京美術学校教授となる。1900年渡仏し、パリ近郊のグレーなどに滞在。1902年パリを立ち、イタリア、ドイツ、イギリスを巡歴して帰国。東京美術学校を辞し、京都工芸学校教授に就任して京都に移る。1903年自宅に聖護院洋画研究所を創設。1906年関西美術院を開設し、初代院長となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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