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けつらくしたげんざいのためのむらさきのじゅうじか 〈欠落した現在のための紫の十字架〉
この作品では、フランクフルト芸術協会での(1980年1月18日の)同名のパフォーマンスを上映している。/【作品成立】1979年、ジュネーヴ、現代美術センター/【写真】ヴァンクーヴァー・アート・ギャラリー提供-----ヨッヘン・ゲルツは、1940年ベルリンに生まれる。1958年ケルン大学で中国文学・ドイツ文学・英文学を学び、60年ロンドンに滞在。1962年バーゼル大学で先史学を学ぶ。1990年ブレーメンのローランド賞(「公共スペースにおける芸術」部門)を、96年ドイツ批評家賞(造形芸術部門)受賞。1966年からパリ在住。「20世紀の初頭以来、観者は芸術において、中心的な役割を果たしてきました。デュシャンの芸術だけでなく、ピカソのような画家にとっても、です。あるドイツ人将校がピカソに、どのようにしてこの絵を創りあげたのかと尋ねた時、ピカソは、この絵を創りあげたのは私ではなく、あなたです、と応えました。デューラーも言ってましたね。樹木を描こうとするならば、あなたも樹木にならなければならない、と」
カテゴリー:作品
狩野養信とは?【 作家名 】 1796年木挽町狩野家八代狩野伊川院栄信の長男として生まれる。1846年没する。名は、養信(はじめ「たけのぶ」、のちに「おさのぶ」)。通称庄三郎。最初は玉川としていたが、のちに清川院、会心斎とも号した。文政2年(1819)法眼。文政11年(1828)家督を継承。天保4年(1833)法印となった。天保10年(1839)、弘化2年(1845)にそれぞれ完成した、江戸城西の丸御殿、本丸御殿の再建に際する障壁画制作の中心となった。また、模写事業をすすめ、室町漢画や中国絵画、初期狩野派など多くの模写を残した。そのなかには、大和絵や沈南蘋など狩野派の伝統とは異なった模写も残されている。養信は、明治の東京画壇で活躍した狩野芳崖、橋本雅邦の師としても知られている。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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