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すけーね えおす どらまーた 〈スケーネ〉〈エオス・ドラマータ〉
この作品は、次の2つの作品で構成される。1.《スケーネ》 舞台で使用できるように主題化された運搬用木箱、多様な木製の靴型と帽子型2.《エオス・ドラマータ[演劇化された暁の女神エオス]》 赤い蝋燭型点滅電球の飾り玉の付いた覗きからくりとなる運搬用木箱、電線の束-----ライナー・ゲルスは、1960年ノイシュトレリッツに生まれる。さまざまな職業を経験した後、1982−89年ドレースデン造形芸術大学に学び、92年アメリカ合衆国に留学する。現在、ベルリン在住。ゲルスは舞台絵画を学んだことがあり、現在も舞台と関わる仕事に積極的である。十字架の形状をした作品は、彼のこれまでの作品にも多く観られたが、今回は作品を巡回させるためのクレートがそのまま展開され、作品となっている。からくり箱のようなものが、いつもこの作家を魅惑してきたというが、たたまれたり開かれたりする舞台、旅する空間やそれらに属するものすべてが劇場を創りあげているのだという。
カテゴリー:作品
ネオ・ダダとは?【 美術用語 】 1950年代の末、ニューヨークにおいて、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズが、あいついで個展を開いた。当時の美術の世界は、抽象表現主義が全盛をきわめていたが、その中で彼らは、日常の具体的、卑俗的な、すぐそれと知れるようなものを画面に登場させ、大胆な画風を示した。ラウシェンバーグは、絵画に布や写真、印刷物などを加えて、雑多なイメージを画面に集めてくるコンバイン・ペインティングを、ジョーンズは国旗や標的などを画面にクローズアップすることで、反芸術の新しい表現スタイルをうちだした。これらの創作活動を、芸術に対する挑戦的な姿勢とみなし、「ダダの再来」という意味でジャーナリストが名付けたものが「ネオ・ダダ」である。日本も1960年の読売アンデパンダン展に、ネオ・ダダ・オルガナイザーズというグループが出品するなど、影響を受けている。ネオ・ダダは抽象表現主義につづき、後のポップ・アートの出現をまつことになる。 |
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