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かづき やすお 香月泰男
1911年山口県に生まれる。1974年没する。1929年上京して川端画学校に通い、31年東京美術学校に入学し藤島武二に学ぶ。在学中の1934年第9回国画会展に初入選、36年に卒業する。この年文展鑑査展に入選、1939年には第14回国画会展で国画奨励賞、第3回新文展で特選、40年には第15回国画会展で佐分賞を受け、同人となる。1943年に応召、47年に復員し、翌年の第22回国画会展に、シベリアで虜囚として抑留された体験から、シベリア・シリーズの第1作を発表する。1956年から翌年にかけてヨーロッパに滞在する。1962年国画会を退会し、66年九州産業大学芸術学部油絵科主任教授となる。1969年第1回日本芸術大賞を受賞。その他、現代日本美術展、日本国際美術展などに出品している。シベリア時代の個人的な回想を基に、独特の墨色を活かした叙情的な作風で知られる。
カテゴリー:作家
ブリュッケとは?【 美術用語 】 1905年、ドレスデンでキルヒナー、シュミット=ロットルフ、エーリッヒ・ヘッケルらの表現主義的傾向の若いドイツ人画家たちによって創設された団体。1906年にはノルデ、ペヒシュタインが参加している。1910年には、ノルデの作品がヅェツェッシォーンに出品拒否をされたのをきっかけに、自由出品制の展覧会のための新しいグループを作り、「新分離派」と名のりベルリンに移動した。1912年には「青騎士」展に参加したりするが、1913年キルヒナーの書いた文章から意見の相違が生じ、分裂・解散した。「橋」を意味するグループ名は、彼らの作品が未来の芸術への架け橋になってほしいという願いからつけられたものであるが、その信条、目標は明確にされず、既成の古い力に対する反抗に重点がおかれ、ドイツにおける表現主義運動をつくった。このグループの仕事の中では、版画、とくに木版画の復興が評価され、二次元的平面性と、白と黒の対比による力づよい精神表現の可能性を追求し、高めた意義は大きいものがあった。 |
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