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そうちょう えどわーど ぼんど 2 〈早朝(エドワード・ボンド)2〉
この作品は、2つの部分からなる人工素材で構成される。-----オーラフ・メッツェルは、1952年ベルリンに生まれる。現在、ミュンヘン在住。1996年4月11日、ケルンの劇場で上演されたエドワード・ボンドの『早朝』において、メッツェルは初めての舞台装置を担当し、実現にこぎつけた。彼は、簡単な舞台装置を考案し、装置の入れ替えのための長い休憩時間をとらないですむようにした。演出はマレーネ・シュトレールヴィッツで、舞台はケルン市立劇場の機械工房。出品作品は英国ヴィクトリア時代のウィンザー城でのパーティーの場面に使われた装置の一部で、その中に誘われた観客たちは自分たちがあたかもお城の園遊会に招かれたような気持ちにさせられたはずである。
カテゴリー:作品
下村観山とは?【 作家名 】 現在の和歌山市に生まれる。一家をあげて上京。はじめ藤島常興に狩野派の手ほどきを受けた後、狩野芳崖、橋本雅邦に学ぶ。東洋絵画共進会、鑑画会に出品し、明治22年(1889)東京美術学校に一期生として入学。卒業と同時に、助教授となる。美術学校騒動では、岡倉天心とともに辞任し、日本美術院創立に参加。正員となる。明治34年(1901)美術学校に教授として復職。2年間、文部省留学生として、イギリスで水彩画の研究などを行った。美術院の五浦移転に従い、美術学校を辞職。大正3年(1914)には、横山大観とともに日本美術院を再興し、以後、院展を中心に活躍した。帝室技芸員、フランス・サロン準会員をつとめた。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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