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いんふぇるの 〈インフェルノ〉
年記と署名入り。黒い平面上に配置。-----カルルハインツ・シェーファーは、1941年北ボヘミアのカイザースヴァルデに生まれる。現在、ベルリン在住。1956-61年マイセン国立陶芸工房で陶芸作家として教鞭を執り、1963年ドレースデン造形芸術大学彫刻科に在籍、64-66年にマイセンで石工として働く。1967-69年ベルリン芸術アカデミー職業学校でフリッツ・クレマーのもとで学ぶ。1970年以降ドイツ民主共和国の公的な芸術界からは身を引いて仕事をする。1980年ダンテ『神曲』素描への最初の取り組みが始まる。「1970年代の初め、私は人間の肖像を描くこと、いえ、何かを描くということが不可能に思えました。そして同時に、芸術に人間が描かれなくなってきたことを衰弱と荒廃のようにも感じました。そのような空虚な芸術からの逃げ道を探していた私は、ダンテを知ることで、違う考えを持つことができるようになったのです。そうして私は、図式の中にさえ、人間を見いだすことができるようになりました。」
カテゴリー:作品
鹿子木孟郎とは?【 作家名 】 1874年岡山県に生まれる。1888年岡山高等小学校を卒業、松原三五郎の天彩画塾に学ぶ。1892年上京して小山正太郎の不同舎に学ぶ。1900年渡米、翌年イギリスを経てパリに留学。ジャン・ポール・ローランスに師事する。1903年ベルギー、スイス、イタリアを巡歴。翌年帰国、京都高等工芸学校講師となる。また太平洋画会に参加し多くの作品を発表。1905年浅井忠らと関西美術院を設立。翌年再び渡仏、サロンに入選。文展審査員に選ばれ、第7回文展まで審査員をつとめる。1916年渡仏、1918年帰国し京都に下鴨画塾を開設。1924年帝国審査員となり以後歴任。1932年仏政府より勲章を受ける。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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