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ドラ・マールの肖像



ドラートル



ドリアン・グレイの肖像



ドリーシュ



ドルーエ



奴隷がどうやって雇主の不利益になるように働くか



ドローイング



ドローネー



ドン



ドンガ



ドンレミのジャンヌ・ダルクの家



ドービニー



ドーファン殿下に捧げる花火とイリュミネーション



ドーミエ



ナイジェルホール



内藤秀因



ナヴァグラハ(九曜星)



中高一



中井克己



中井川由季


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にーべるんぐのゆびわ

〈ニーベルングの指環〉

作家名:ギュンター・ユッカー
制作年:1974-96年
技 法:
リヒャルト・ヴァーグナーの〈ニーベルングの指環〉のための5点の模型と10枚の素描で構成される。【1-5. 模型】1.《水(石切り工)》 木材、石、ガラス、金属、灰2.《岩(ラインの黄金)》 木材、石、灰3.《木(森)》 木材、灰4.《断面(岸辺)》 木材、灰5.《灰(火)》 木材、金属、灰【6-15. 素描】材質:紙、灰、にかわ、炭/すべてに品番と題名と署名入り。6.《ラインのおとめたち(ラインの黄金)》7.《ファーゾルト、ファーフナー、フライア(ラインの黄金)》8.《エルダ、ヴォータン(ラインの黄金)》9.《ヴォータン(ラインの黄金)》10.《ジークムント(ヴァルキューレ)》11.《ヴォータン、ブリュンヒルデ(ヴァルキューレ)》12.《ジークフリート(ジークフリート)》13.《さすらい人(ジークフリート)》14.《ブリュンヒルデ(神々の黄昏)》15.《ジークフリート(神々の黄昏)》-----ギュンター・ユッカーは、1930年メクレンブルクのヴェンドルフに生まれる。画家および広告画家としての修業の後、1949-53年ヴァイマール応用美術専門学校(後のベルリン・ヴァイセンゼー美術アカデミー)で学ぶ。1953年西ベルリンへ移住。1955-57年デュッセルドルフ美術アカデミーでオットー・パンコックのもとで学ぶ。1957年最初の釘絵を制作する。1976年にデュッセルドルフ美術アカデミー教授となり、現在デュッセルドルフ在住。ユッカーは最初、前衛芸術家らしく、オペラのような旧態依然としたジャンルに嫌悪感を抱いていた。しかし、1970年代にベートーベンやヴァーグナーオペラのテーマとして扱われた、存在の変化と自由というテーマに感動し、舞台の仕事を自分のやり方で引き継いだのである。その後、ユッカーは次々と劇場の仕事に関わり、アジアでも近年台湾でオペラの舞台を成功させるなど、活躍を見せている。


カテゴリー:作品
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紫派とは?【 美術用語 】

黒田清輝を中心として形成された明治期の洋画の傾向とその画家たちを指す。ラファエル・コランに学んで1893年帰国した黒田は、印象派の技法と伝統的な主題を折衷したサロン系の外光表現を日本に伝えたが、それまで日本の画壇は脂派と呼ばれる褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色と黒で描いた暗く脂っぽい表現が主流となっていたため、黒田の明るく感覚的な外光描写は若い画家たちに清新な感動をもって迎えられた。黒田は久米桂一郎とともに天真動場、次いで白馬会を創立し、また東京美術学校教授として後進の指導にあたり、それらの活動を通じて外光描写は当時唯一の官展であった文部省美術展覧会(文展)の画風を支配するに至った。名称の起りは、陰の部分を青や紫で描いたことを、脂派に対して正岡子規が紫派と揶揄したことによる。ほかに脂派との対比から新派、南派、正則派とも呼ぶ。

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けんさくけっか

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