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かじわら ひさこ 梶原緋佐子
1896年京都府に生まれる。1988年没する。京都府立第二高等女学校で千種掃雲に学ぶ。卒業後、菊池契月に師事。1918年第1回国画創作協会展に〈暮れゆく停留所〉を出品し、選外佳作となる。翌年、第2回帝展に出品し入選。以後、帝展、新文展に出品し活躍。戦後は日展で特選や白寿賞を受賞し、審査員も度々務めた。また、京展に出品し審査員を務めるなど、戦後の京都画壇において重要な位置についた。1976年京都市文化功労賞を受賞した。
カテゴリー:作家
カミーユ・ピサロとは?【 作家名 】 デンマーク領、西インド諸島セント・トマス島に生まれる。1855年画家を志してパリに行き、コロー、クールベに感銘して風景画を描く。1859年にはモネに会う。サロンに数回出品するが落選し、1863年の落選展に出品する。普仏戦争中の1870年、一時ロンドンへ亡命し、モネとともにイギリスの風景画を研究する。印象派展に1874年の第1回から86年の第8回まで毎回出品を続け、印象派の代表的作家の一人となる。また、セザンヌ、ゴーギャンやスーラ、シニャックを印象派に導いた人格者でもある。穏やかな田園風景や街並みを多く描く。一時スーラの新印象主義にひかれ、点描の技法も用いる。パステル、グワッシュにも佳作が多い。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
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