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かじわら ひさこ 梶原緋佐子
1896年京都府に生まれる。1988年没する。京都府立第二高等女学校で千種掃雲に学ぶ。卒業後、菊池契月に師事。1918年第1回国画創作協会展に〈暮れゆく停留所〉を出品し、選外佳作となる。翌年、第2回帝展に出品し入選。以後、帝展、新文展に出品し活躍。戦後は日展で特選や白寿賞を受賞し、審査員も度々務めた。また、京展に出品し審査員を務めるなど、戦後の京都画壇において重要な位置についた。1976年京都市文化功労賞を受賞した。
カテゴリー:作家
ジャクスン・ポロックとは?【 作家名 】 1912年アメリカに生まれる。1956年没する。1930年に西部からニューヨークのアート・スチューデント・リーグに入学、トーマス・ベントンに学ぶ。1930年代から40年代の初めにかけてはメキシコの壁画運動やピカソの〈ゲルニカ〉、ミロなどに触発され、激しくうごめく生き物のイメージを描く。また、アルコール中毒の精神分析治療を受けた彼は、シュールレアリスムにも興味を引かれる。1946、47年頃から床にひろげたキャンバスに棒などから絵具をしたたらせてオールオーヴァーに描く、ドリップペインティングを始める。時には巨大なキャンバス上で、身体全体を使って描く行為それ自体がイメージをしぼり出していくのである。1956年夏、44才の時に、ニューヨーク近代美術館での回顧展を前にして自動車事故で死亡、戦後アメリカ美術の伝説となった。デ・クーニングと共に、抽象表現主義の代表者として評価は高い。 |
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