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おおきなき 大きな木
ガブリエル・ベルジョンヌは戦後のベルギーの版画をリードしてきた作家である。「カプ・ダンクル」の中心メンバーであり、自宅に「タンデム74」という版画工房を開き、そこでメンバーを集めてグループを作り、出版なども行っている。また、コンデ・ボンスクール国際版画ビエンナーレなど国際的版画展の創設にもかかわっている。美術学校への反発から版画のみを制作するようになった彼は、広い意味で版画の概念に含まれうる、ありとあらゆるものを手がけてきた。特に特徴的なのはアクアチントによる巻貝をモチーフにしたシリーズである。しかし、1988年にマックス・ロローが彼を評して言った言葉に触発されて以後は、主としてアクリル絵の具によるタブローを主たる仕事にしているが、ここでもモノクロームの色調で独自の世界を描いている。(「ベルギー現代美術展」図録 1994年)
カテゴリー:作品
川端龍子とは?【 作家名 】 1885年和歌山県に生まれる。本名昇太郎。1895年(明治28)、一家で東京に転居する。1904年に白馬会洋画研究所で、6年には太平洋画会で洋画を学び、7年の東京勧業博覧会、第1回文展にそれぞれ入選し、翌年の第2回文展にも入選する。1913年(大正2)洋画研究のためにアメリカに留学するが、ボストン美術館等で東洋・日本の古美術に感銘を受け、半年の滞在ののち帰国、日本画に転向し、自然主義を標榜する平福百穂らの无声会に参加する。翌1914年東京大正展覧会で初の日本画入選。1915年には、平福百穂、小川芋銭らと珊瑚会を結成する。また同年の第2回再興院展に入選、第3回展で樗牛賞を受賞して院友となり、1917年の第4回展で同人に推挙された。以後、1928年(昭和3)に脱退するまで院展を活動の場とした。1929年に青龍社を創立、主宰する。1959年には文化功労者となり文化勲章を受章。その作品は、洋画研究の成果を反映させた力強い表現力と大胆でスケールの大きい画面構成を特色としている。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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