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アッベマ



吾妻兼治郎



アデイェミ



アデイェミ



アトランタ1945+50



アトランタ1945+50



アトリエ前の庭



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アナツイ



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もーりっつぶるくですいよくするじょせいたち

モーリッツブルクで水浴する女性たち

作家名:エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー
制作年:1909-10年
技 法:多色(5版)木版 和紙
20世紀初頭のドイツの美術思潮を支配したのは表現主義である。それに先立つフランスを中心とした印象主義は、外界の対象を自らの内に映しとること、すなわち外から内へという方向性を持っていたが、表現主義はそれとは逆に、内面の感情や理念といったものを外へ向かって表出していくこと、すなわち内から外へという方向を持っていた。 キルヒナーは、このドイツ表現主義を担った重要なグループ「ブリュッケ」の主要メンバーである。橋という意味のブリュッケという言葉には「一つの岸辺からもう一つの岸辺へとつないでくれる」という意味が込められている。 ブリュッケは、1905年に結成され、13年には解散した。この作品は、その最盛期にあたる1909年から10年の作である。当時、原始美術の素朴な形態に興味を引かれていたキルヒナーは、水浴する人々をテーマにした一連の木版画を制作した。遠近法に基づいた奥行きや空間のとらえ方は、ここでは否定された。そのために、人体も背景も同じ平面上で響き合っている。また、人体の各部分は、理想的なバランスがあえて崩されていて、ぎくしゃくとしたものとなっている。簡潔な形態は、素朴な力強さを持っており、青、赤、黄、緑、黒といった強い色面がそれをさらに強調している。 これらの形態や構図、色遣いは、もっぱら作り手の内面からわき上がってくる要請に応じて生まれたもりであった。それらは、外界の事物を写し取ろうという態度からは決して生じないものなのである。 さらに、これが木版画であることが重要である。木版画という技法が本来もっている、形態や色彩の素朴で力強い表現力が、制作意図とうまくかみ合い、この作品は生まれたといえるだろう。制作技法と作り手の感性の幸福な出合いをここに見ることができるのである。


カテゴリー:作品
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ジョセフ・アルバースとは?【 作家名 】

1888年、ドイツに生まれる。1913年から15年までベルリンの美術アカデミーで学び、美術教師の資格を取る。1916年から19年までは小学校の教師をしながら美術工芸学校に学ぶ。1919年から20年にかけてミュンヘンの美術アカデミークレーカンディンスキーらの教えを受ける。1920年にヴァイマルのバウハウスに入り、22年まで学び、23年からはステンドグラス工房と基礎課程で指導にあたる。基礎課程ではモホリ=ナギと共に親方をつとめる。デッサウに移り、1928年からは家具工房の親方も勤めた。1933年には、ナチスから逃れて早々とアメリカへ亡命しノース・キャロライナ州、ブラック・マウンテン大学の教授となる。1933年から46年にはパリのアブストラクシオン=クレアシオンに参加、またアメリカ抽象芸術家協会にも参加する。戦後の1950年 にはイェール大学に移る。またハーバード大学やシンシナティ芸術アカデミーなどで幅広く指導を行う。そのほかにもメキシコ、キューバ、チリ、ペルー、ハワイ、日本など世界各地の大学で講演を行う。展覧会も各地で開催された。(「亡命者の奇跡 アメリカに渡った芸術家たち」図録 1993年)

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