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もーりっつぶるくですいよくするじょせいたち モーリッツブルクで水浴する女性たち
20世紀初頭のドイツの美術思潮を支配したのは表現主義である。それに先立つフランスを中心とした印象主義は、外界の対象を自らの内に映しとること、すなわち外から内へという方向性を持っていたが、表現主義はそれとは逆に、内面の感情や理念といったものを外へ向かって表出していくこと、すなわち内から外へという方向を持っていた。 キルヒナーは、このドイツ表現主義を担った重要なグループ「ブリュッケ」の主要メンバーである。橋という意味のブリュッケという言葉には「一つの岸辺からもう一つの岸辺へとつないでくれる」という意味が込められている。 ブリュッケは、1905年に結成され、13年には解散した。この作品は、その最盛期にあたる1909年から10年の作である。当時、原始美術の素朴な形態に興味を引かれていたキルヒナーは、水浴する人々をテーマにした一連の木版画を制作した。遠近法に基づいた奥行きや空間のとらえ方は、ここでは否定された。そのために、人体も背景も同じ平面上で響き合っている。また、人体の各部分は、理想的なバランスがあえて崩されていて、ぎくしゃくとしたものとなっている。簡潔な形態は、素朴な力強さを持っており、青、赤、黄、緑、黒といった強い色面がそれをさらに強調している。 これらの形態や構図、色遣いは、もっぱら作り手の内面からわき上がってくる要請に応じて生まれたもりであった。それらは、外界の事物を写し取ろうという態度からは決して生じないものなのである。 さらに、これが木版画であることが重要である。木版画という技法が本来もっている、形態や色彩の素朴で力強い表現力が、制作意図とうまくかみ合い、この作品は生まれたといえるだろう。制作技法と作り手の感性の幸福な出合いをここに見ることができるのである。
カテゴリー:作品
鈴木松年とは?【 作家名 】 京都に鈴木百年の長男として生まれる。通称百太郎。百僊と号したが、のちに松年と改号。東錦僂主人、老龍館主人の別号がある。父に学ぶ。明治13年(1880)京都府画学校に出仕。翌年、百年の後任で北宗科教員となった。第一回内国絵画共進会で褒状を得たのをはじめ、同展で、銀章、妙技三等など受賞を重ね、また、内国勧業博覧会、日本美術協会展、新古美術品展、シカゴやパリの万国博覧会などで活躍した。初期の上村松園や土田麦僊が、一時、松年に学んでいる。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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