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とびらえとしょひょう じゃぽにすむ 10のえっちんぐより 扉絵と書票−『ジャポニスム:10のエッチング』より
『ジャポニスム:10のエッチング』はフェリックス・ビュオの銅版画集であるが、扉絵だけはゲラールによって描かれた。版によっては赤色で刷られている場合もある。巻物を開いた部分に、竜の彫刻をあしらったブロンズの壺や蛙の置物など、フィリップ・ビュルティのコレクションが寄せ集めて描かれている。「新撰狂歌五十人一首」というのはもちろん、この銅版画集に内容の上では関係はないのだが、ジャポニストたちが、日本美術同様、日本の文字もデザインとして重要視していたことが窺える。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
デクーニングとは?【 作家名 】 1904年オランダに生まれる。1997年没する。商業美術の仕事をしながらロッテルダムの美術工芸アカデミー夜間部で学ぶとともに、純粋な抽象造形を目指したデ・ステイルの思想の影響を受ける。1926年アメリカに渡る。この頃からアーシル・ゴーキーとの親交が始まる。1935年、WAP(公共事業促進局)の連邦美術計画に参加し壁画の制作を行なうが、38年頃から新古典主義時代のピカソの影響下で〈女〉シリーズに着手する。1940年代を通して、均整のとれた女性像にデフォルメを加えて行き、48年の初個展で抽象化された作風が高く評価される。1950年代前半には、荒々しい筆触と激しい色彩で再び〈女〉シリーズに取り組み、ポロックと並ぶアクション・ペインティングの代表的作家と目される。以後、〈風景〉シリーズなど抽象的要素が一層強まった作品と〈女〉シリーズを繰り返し表わしながら、表現主義的作風を一貫させている。1970年代からは、人体をテーマとした彫刻も試みている。 |
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