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ほうとうむすこ とおいくにぐににて 放蕩息子−遠い国々にて
ティソの日本美術への関心は1860年代から深かったが、1868年にフランスに一時滞在していた徳川家の貴公子、徳川昭武にデッサンを指導するなど、日本に触れる機会には事欠かなかった。その綿密な情報収集の結果がこの作品にも表れ、まるで実際に日本に行って見てきたかのような具体的な情景が描かれている。放蕩息子のテーマは新約聖書のルカ伝第15章に由来するが、その放浪の舞台の一つを仮説的に日本、それも屋形船で芸者の踊りと歌を楽しむという設定にした、ティソ独自の解釈であると言えよう。このテーマで描かれた油彩画は4点あるが、それらの複製として制作された版画のシリーズのうちの1点が本図である。本図に対応する油彩作品はフランスのナント美術館に所蔵されている。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
レフラーとは?【 作家名 】 1874年ボヘミアのリベレツ近郊に生まれる。故郷リベレツの工芸美術館付属のデッサン学校で学んだ後、1890年よりウィーン工芸学校に在学、F.v.マッチュとC.O.チェシュカに師事。1900年、モーザーの専門課程を履修。1907年、チェシュカの後を引き継いで、工芸学校の絵画と版画のクラスで教鞭をとる(−1935年)。ミヒャエル・ポヴォルニーと共に“ヴィーナー・ケラーミック”(ウィーン陶器製作所、後にグムンデン陶器製作所と合併)を設立する。その製品は1907年以降ウィーン工房を通して販売されるようになる。同年「クンストシャウ」に出品。レフラーはウィーン工房において、ポストカードやコマーシャル・グラフィック、アクセサリー、陶器、衣装および挿絵などを担当するが、特に、ストックレー邸のタイル装飾やキャバレー・フレーダーマウスの室内装飾、衣装およびポスターの制作に重要な役割を果たしている。オーストラリア工作同盟およびキュンストラーハウスの会員。1960年ウィーンで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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