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さらのでざいん かも 皿のデザイン(鴨)
ルソー食器セットの花鳥図のデザインで1866年から陶器の絵柄のデザインでも名の売れ始めた、版画家のブラックモンは70年代にも多くの食器のデザインを手がけた。1872年からの10年間はシャルル・ハヴィランドによって設立されたオトゥイユの陶器製造工房の美術監督も務めたが、この皿のデザインもハヴィランド社によって製作され、その皿は現在同社のコレクションに所蔵されている。鴨は鳥好きのブラックモンが最も頻繁に描いた鳥であるが、この番いの鴨は北斎漫画初編の様々な鳥を寄せ集めたページから引用されていると思われる。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
リプシッツとは?【 作家名 】 1891年リトアニアに生まれる。1973年没する。(イタリア、カブリ)本名ハイム・ジャコブ・リプシッツ。建築を学んだ後1909年パリに出て、エコール・デ・ボザールで彫刻と素描を学ぶ。1912年頃からモンパルナスに住み、エコール・ド・パリの作家達と交流する。1913年から形態を幾何学的に還元した彫刻を制作、15年からは人体をモチーフとした彫刻を制作、キュビスムの彫刻家と目されるようになる。1920年ローザンベール画廊ではじめての個展を開き、22年バーンズ財団の依頼で、ペンシルバニアに石の大型レリーフを制作する。1920年代以降は、自ら「透明彫刻」と名付けた軽快な線的彫刻を制作し、彫刻に新しい地平を開く。1930年代になると、作風は次第に有機性と神秘性を加え、闘争や抱擁をテーマにうねるような量塊によって深い感情表現を追求する。1941年以降ニューヨークに定住し、戦後はアメリカ各地に数多くのモニュメントを制作する。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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