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ほろほろどり じゅーるるなーるちょ はくぶつし ぱり H.ふるーりーしゅっぱんより ホロホロ鳥−ジュール・ルナール著『博物誌』(パリ:H.フルーリー出版)より
ロートレックはキャバレーなど、パリの華やかな夜の生活を描いた画家として知られるが、本の装幀用に鳥などの小動物も描いている。中でも1893年のルコント著『印象派美術』の装幀のための下絵には、船の縁に留まった鵜や砂浜を横歩きする蟹がユーモラスに描かれている。このジュール・ルナール著『博物誌』のための22点の動物の描写でも、ホロホロ鳥、ブタ、クモなど様々な動物が、博物学的描写からは程遠いユーモラスな視点から、書道を思わせるような動きのある素早い素描で捉えられている。ルナールの動物の記述自体が、人間味を帯び、ユーモラスであったため、ロートレックもそれに合わせて、動物をユニークな設定で描いたのだろう。とりもなおさず、最小限の筆致で動物の特徴を端的に捉えているそれらの描写は、ロートレックが北斎漫画等に見られる動物の描写から学んだ成果でもある。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
小川芋銭とは?【 作家名 】 1868年江戸赤坂溜池の牛久藩邸に、留守居役小川伝右衛門の長男として生まれる。幼名不動太郎、のち茂吉と改める。はじめ油彩画を本多錦吉郎に学ぶ。1888年(明治21)「朝野新聞」の客員となり、同紙に帝国議会開設のスケッチや漫画を発表した。この時から芋銭の号を用いはじめる。1893年廃藩置県で牛久に帰農していた一家のもとに帰り、農業に従事しながら制作を行った。「茨城日報」「いはらき新聞」に投稿、1911年小杉未醒と漫画展を開催した。1915年(大正4)平福百穂、川端龍子、森田恒友らと日本画研究団体、珊湖会を結成、1917年には日本美術院の同人となる。以後院展を中心に、沼畔や田園に題材を取った作品を発表した。明治後期に幸徳秋水などと交流し、平民主義の影響を受ける一方、老荘の思想に通じ、書や俳諧もよくした。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年) |
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