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なつ てすりのうえのねこ 夏:手摺りの上の猫
スタンランの猫好きは有名で、彼の住んでいたコーランクール街58番地は「猫屋敷」とあだ名されたほどだった。彼が深く関わっていたキャバレー「シャ・ノワール(黒猫)」関連のポスターや冊子に猫を多く描いただけではなく、主題として関連のない作品にも猫を多く登場させている。この縞柄の猫は特に頻繁に描かれており、他に飼われていた黒猫と三毛猫に比べても、スタンランがとりわけ強い愛情を示していたことがわかる。1909年にこの猫は夏と冬の2つの季節を表す石版画作品に登場しているが、それは日本の四季絵にも見られるように、身近な日常生活の中で四季の移り変わりをさりげなく表現したものである。手摺りと背景の木の葉で画面の奥行きを狭め、全体的に平面的な効果を出している点にも、日本美術への関心が窺える。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
クリンガーとは?【 作家名 】 ウィーン技術産業博物館で学ぶ。1895年、デッサンアトリエ、‘ヴィーナー・モーデ’に入る。ここでコロマン・モーザーと知り合い、彼の推薦で「メゲンドルファー・ブレッター」誌に参加。1896年、ミュンヒェンに移住、1年後ベルリンに転居。同地で出版人のドクター・アイスラーに協力。かたわら、滑稽本「ディ・ルスティゲン・ブレッター」、風刺雑誌「ダス・クライネ・ヴィッツブラット」の挿絵、ポスターを制作、また、レタリングデザインを始める(1897年「ボールド体」発表、1912年から13年、H.ベルトホルト書店(ベルリン)が第202号で「クリンガー字体」特集)。1908年から1909年、ウィーン・クンストシャウに参加。1911年、ダルムシュタットの芸術家村の招きを断わる。1912年、ベルリンのJ.シュミット・ガラス絵工房のためにガラス窓デザインを制作。ウィーン分離派のポスター展に出品。欧州旅行。1915年、ウィーンに戻る。1918年まで兵役。ポスター制作アトリエを開く。1926年、「現在作家国際レタリング展」にオリジナルのレタリングパラフレーズを出品。施盤を使ってファンタジック図形「ベターウェイ・グロテスク」を開発、宣伝広告用に多用、今日、世界中に広まる。R.ベルナウアーとマインハルトのパロディ「悪党の歌」の挿絵を描く。 |
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