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なつ てすりのうえのねこ 夏:手摺りの上の猫
スタンランの猫好きは有名で、彼の住んでいたコーランクール街58番地は「猫屋敷」とあだ名されたほどだった。彼が深く関わっていたキャバレー「シャ・ノワール(黒猫)」関連のポスターや冊子に猫を多く描いただけではなく、主題として関連のない作品にも猫を多く登場させている。この縞柄の猫は特に頻繁に描かれており、他に飼われていた黒猫と三毛猫に比べても、スタンランがとりわけ強い愛情を示していたことがわかる。1909年にこの猫は夏と冬の2つの季節を表す石版画作品に登場しているが、それは日本の四季絵にも見られるように、身近な日常生活の中で四季の移り変わりをさりげなく表現したものである。手摺りと背景の木の葉で画面の奥行きを狭め、全体的に平面的な効果を出している点にも、日本美術への関心が窺える。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
構成主義とは?【 美術用語 】 ロシア革命前から1920年代にかけてソ連で展開された芸術運動。ウラジーミル・タトリンが1913年に始めた鉄板や木片によるレリーフを「構成」と呼んだのを発端とする。現実の素材による非再現的構成という造形理念は、ロドチェンコなど多くの共鳴者を得て、構成主義という運動に発展し、モスクワの前衛美術界を、マレーヴィチの提唱したシュプレマティズム(絶対主義)と二分した。革命後は、革命政府の美術政策の推進勢力となり、絵画、彫刻をブルジョワ芸術として否定するとともに、鉄・ガラスなどの工業生産物の使用と社会的効用性を主張し、建築・デザイン・舞台美術などの分野にも拡がり、1920年には造形芸術の各分野をほとんど支配した。運動としては1919年頃から効用派と純粋造形派とに分裂し、純粋造形派のペヴスナー、ガボらは運動を離れ、効用派もその後産業との一体化を推進したが1930年代に政府より批判され終結したが、国外の抽象芸術運動に与えた影響は大きい。タトリンの「第3インターナショナル記念塔(模型)」はその代表的作品。 |
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