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ぐろーすたーこう グロースター港
前景の対象を大きく描き画面上の奥行きを強調する遠近表現法、また対象の不要な部分を大胆に画面から排除する構図法は、浮世絵版画に顕著に見られる手法である。1867年に日本美術に接する機会を得てから、ホーマーはこれらの手法を頻繁に取り入れている。この作品は、ホーマーが長年挿絵画家として従事した『ハーパーズ・ウィークリー』誌に掲載されたもので、アメリカ大衆の余暇活動をテーマとしている。19世紀後半は木版画がまだ報道写真の役目を担っており、ホーマーのように大胆で簡潔な表現で対象を描くことのできる挿絵画家が人気を博していた。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
カンディンスキーとは?【 作家名 】 1866年ロシアに生まれる。1944年没する。モスクワ大学で法律と国民経済学を研究したが、1896年ミュンヘンに移ってシュトゥックについて絵を学び、ユーゲントシュティール、印象主義、ロシア民芸の影響がつよい作品を制作した。1909年「新芸術家協会」を設立。翌年水彩画による最初の抽象画を制作。この頃『芸術における精神的なもの』を執筆。1912年『ブラウエ・ライター(青騎士)』誌を刊行。1914年ロシアに帰り、革命後モスクワ大学教授となる。1921年ドイツに戻り、1922年から33年までバウハウスで教鞭をとった。1933年パリに亡命。作風は、1910年代は激しい色と形による「ドラマティックな時代」、20年代は「コンポジション時代」から「円の時代」へと移行し、晩年は「具体芸術の時代」へと展開した。ミュンヘンのレンバッハ画廊、パリのポンピドゥ・センター、ニューヨークのグッゲンハイム美術館に主なコレクションがある。抽象絵画の創始者として、20世紀美術にかけがえのない足跡を残した。 |
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