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しゅつりょう げっこうのこうか 出漁:月光の効果
手前に釣り船を大きく配し、漁師が底引き網を操る光景は、北斎の『富嶽百景』第三編の中の《網裏の富士》に酷似している。北斎の場合は網を垂直にたてているのに対して、ゲラールの場合は網を下ろしており、背景も全く違うので、ゲラールは単に北斎を真似たわけではなく、北斎の主題と様式をフランスの風景に採用してみたものであることがわかる。何もかもがシルエットに見える夜景を選んだのも、広重の浮世絵に頻出するシルエットに興味を持ったことがきっかけかもしれないが、影による船の立体的表現や水面に映る月明かりや灯台の明かりの表現は写実的である。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
石井柏亭とは?【 作家名 】 1882年東京都に生まれる。父は日本画家の石井鼎湖。父の指導により早くから日本画を修業し、日本美術協会展などに出品。1894年、神田の共立中学校に入学するが翌年退学し、石川欽一郎らの影響で水彩画を学ぶ。1898年浅井忠の門下に入り、明治美術会に参加。1904年中央新聞社に勤め、東京美術学校西洋画科選科に入学。1907年上京し、森田恒友らと雑誌『方寸』を創刊。1910〜1912年渡欧。1913年、丸山晩霞らと日本水彩画会を創立、翌年二科会を創立。1935年帝国美術会員となって二科会を退会、翌年一水会を結成。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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