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おーとぅいゅてっきょうより えっふぇるとう36けいのためのしゅうさく オートゥイュ鉄橋より−『エッフェル塔三十六景』のための習作
本図は、『エッフェル塔三十六景』の数少ない木版画習作の一つであり、全図が石版画版として出版される1902年より10年も前に制作された。画帳に含まれる本図の石版画版は、「ジュール橋より」と改題されているが、それは単に同じ橋がオートゥイュ鉄橋という別名を持っていたからである。多くのリヴィエール作品に見られるように、本図でも鳥瞰図法が用いられ、画面の大部分をセーヌ川とパリの町並みが覆っている。構図の上だけでなく、明快な輪郭線と平面的な雲などの表現にも広重を筆頭とする浮世絵の様式の影響が見られる。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
ネオ・ダダとは?【 美術用語 】 1950年代の末、ニューヨークにおいて、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズが、あいついで個展を開いた。当時の美術の世界は、抽象表現主義が全盛をきわめていたが、その中で彼らは、日常の具体的、卑俗的な、すぐそれと知れるようなものを画面に登場させ、大胆な画風を示した。ラウシェンバーグは、絵画に布や写真、印刷物などを加えて、雑多なイメージを画面に集めてくるコンバイン・ペインティングを、ジョーンズは国旗や標的などを画面にクローズアップすることで、反芸術の新しい表現スタイルをうちだした。これらの創作活動を、芸術に対する挑戦的な姿勢とみなし、「ダダの再来」という意味でジャーナリストが名付けたものが「ネオ・ダダ」である。日本も1960年の読売アンデパンダン展に、ネオ・ダダ・オルガナイザーズというグループが出品するなど、影響を受けている。ネオ・ダダは抽象表現主義につづき、後のポップ・アートの出現をまつことになる。 |
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