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えっふぇるとう36けい がちょう 『エッフェル塔三十六景』画帳
この画帳を構想し始めた頃、リヴィエールは日本風の多色摺木版を手がけるようになったばかりだったが、彼は早速、手本であった広重や北斎に倣って、風景画の連作を作ることを思い立った。当時フランス革命百周年記念の万国博覧会に合わせて建設中のエッフェル塔は、形と大きさの上で富士山に見合う、新しいパリの象徴となった。北斎の『富嶽三十六景』がこの画帳の直接的なモデルとなったことは明らかだが、前景を遮るように木の枝を配するなどの構成上の技法は、広重の作品から学んだと思われる。三十六景のうち、「オートゥイュ鉄橋より−『エッフェル塔三十六景』のための習作」と「オーステルリッツ橋より−『エッフェル塔三十六景』のための習作」は自刻の木版で摺られたが、その困難さに気付いたリヴィエールは残りの34図をスケッチのまま据え置きにし、1902年になって石版画によって全図を完成させた。表紙及びカバーの装幀はジョルジュ・オリオールによる。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
サンブとは?【 作家名 】 ダカールに生まれる。ダカール大学で哲学と法律とを修め、さらに、同地のエコール・デ・ボザールで美術を学ぶ。ラボラトワール・アジという美術、音楽、映画、演劇などあらゆる分野の作家たちの集めたグループの実質的な主宰者として、作家たちの精神的支柱となっている。彼はアフリカ諸国やヨーロッパを渡り歩き、現在ダカールにおいて、画家、彫刻家としても活躍している。身辺の社会的テーマを扱う彼の表現方法はインキ、グワッシュ、油彩、コラージュなど多岐にわたり、さらにインスタレーション、パフォーマンスといった空間表現も取り入れている。ダカールの中心街の一角ジュール・フェリー街の彼の家の庭は、ダカールの作家の集会所を兼ねており、今日のセネガル、ひいてはアフリカにおける現代美術の発信源となっている。彼はヨーロッパに出品されるアフリカの現代の作品は、結果的にヨーロッパのために造られた作品でしかないとしている。それはヨーロッパへの批判であると同時に、ともすれば白人たちに媚びがちな今日のアフリカ美術への痛烈な批判でもある。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
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