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こがたぎょせん 小型漁船
自らの木版画をウッド・ペインティングと呼んだダウは、木版画を色彩による画面構成を学ぶ格好の手段と見なしていた。一つのデザインの版木を一式作れば、その後は自由自在に色彩やその濃淡の組み合わせを実験することができたからだ。決まった色の組み合わせで何千と摺る日本の浮世絵と比べて、ダウの木版画は同じ色彩の同じ版が一つとないほど、実験精神に富み、表現力も溢れていた。彼の創作版画にかけた熱意は、若手の作家を魅了し、その後のアメリカのモダニズムを支える重要な力となった。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
バウハウスとは?【 美術用語 】 1920年代のドイツで近代デザインの中心地となった建築と応用美術のための学校。デザインと工業技術の間に橋をかける重要な役割をはたした。1933年にナチスの圧力で解散してから教授陣と学生が各地に移住したため、バウハウスの理念は多くの国々に広められ、1930年代と40年代における近代主義のシンボルともいえる存在となった。バウハウスの創設は、1919年に、旧ヴァイマール美術アカデミーとヴァイマール美術工芸学校がグロピウスによりひとつにまとめられたことに始まる。グロピウスの最初の思想は、すべてを包含する近代的で構成的な芸術を実現して、モニュメンタルな要素と装飾的な要素の分離をなくそうとするものであったが、さらに1923年には、工業的大量生産用のデザインを行う工芸家が重要であるとした。このため、バウハウスは産業界と密接に関係を持ち、多くの製品を生み出した。その特徴は非個人的で幾何学的で厳格なことであり、むだを省き素材を研究し、洗練された形を持っており、ヨーロッパの建築・応用美術に大きな影響を与えた。 |
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