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こどものせわ 子供の世話
本展出品のカサット作品は2点とも彼女の初期の作品で、簡素で繊細なドライポイントの線だけが基調となっている。モデルは同時期の作品に頻繁に現れるメイドのマティルドで、カサットに極めて身近な日常生活の営みを描いている。同時代、女性を対象に様々な身ぶりを描いた画家に、カサットとも親しかったエドガー・ドガがいたが、彼は早くから浮世絵から大胆な構図等を学んでおり、1890年の浮世絵展を待つまでもなく、カサットは間接的にドガや周辺の印象派の画家たちを通して日本美術の影響を受けていたと言える。それは、画面左下の机が西洋的な遠近法を無視して、画面の平面に沿うような方向に描かれていること、また対象の細部の省略等に顕れている。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
ネオ・ダダとは?【 美術用語 】 1950年代の末、ニューヨークにおいて、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズが、あいついで個展を開いた。当時の美術の世界は、抽象表現主義が全盛をきわめていたが、その中で彼らは、日常の具体的、卑俗的な、すぐそれと知れるようなものを画面に登場させ、大胆な画風を示した。ラウシェンバーグは、絵画に布や写真、印刷物などを加えて、雑多なイメージを画面に集めてくるコンバイン・ペインティングを、ジョーンズは国旗や標的などを画面にクローズアップすることで、反芸術の新しい表現スタイルをうちだした。これらの創作活動を、芸術に対する挑戦的な姿勢とみなし、「ダダの再来」という意味でジャーナリストが名付けたものが「ネオ・ダダ」である。日本も1960年の読売アンデパンダン展に、ネオ・ダダ・オルガナイザーズというグループが出品するなど、影響を受けている。ネオ・ダダは抽象表現主義につづき、後のポップ・アートの出現をまつことになる。 |
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