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こどものせわ 子供の世話
本展出品のカサット作品は2点とも彼女の初期の作品で、簡素で繊細なドライポイントの線だけが基調となっている。モデルは同時期の作品に頻繁に現れるメイドのマティルドで、カサットに極めて身近な日常生活の営みを描いている。同時代、女性を対象に様々な身ぶりを描いた画家に、カサットとも親しかったエドガー・ドガがいたが、彼は早くから浮世絵から大胆な構図等を学んでおり、1890年の浮世絵展を待つまでもなく、カサットは間接的にドガや周辺の印象派の画家たちを通して日本美術の影響を受けていたと言える。それは、画面左下の机が西洋的な遠近法を無視して、画面の平面に沿うような方向に描かれていること、また対象の細部の省略等に顕れている。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
川上冬崖とは?【 作家名 】 1827年長野県に生まれる。江戸に出て大西椿年に学び岸太郎と称する。蕃書調書に入り、絵画取調出役、画学出役となって洋画法を研究し、後進を指導。明治維新後、大学南校(東京大学の前進)、文部省、陸軍兵学寮、陸軍参謀局に勤める。第1回、第2回内国勧業博覧会美術部の審査主任。1870年下谷に私塾聴香読画館を設けて青年たちに西洋画法を教える。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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