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あくのいずみ えすたんぷおりじなるしだい6ごうより 悪の泉−『エスタンプ・オリジナル』誌第6号より
ド・フールは象徴主義文学に強い影響を受け、特にボードレールの詩集『悪の華』や『地獄堕ちの女たち』に由来する、ファム・ファタル(妖婦・宿命の女)や女性同性愛等の主題を多く描いた。女性を諸悪の根源、不道徳の象徴とみなす思想は、古くからあるものの、19世紀末のそれは、近代以降の女性の社会進出に対する男性の危惧の顕れとも考えられよう。『エスタンプ・オリジナル』誌第6号に含まれたこの作品は、泉のほとりにうずくまった女性を描いているが、彼女自身が寓意的に悪の源、すなわち「悪の泉」とされている。女性の炎のように立ち上がった髪も、周りの怪しげな植物形態も、彼女の呪われた運命を示唆しているかのようである。アール・ヌーボー的な優美な線と独創的な色使いは、ド・フールの作品の特徴だが、後の装飾デザインにおいてさらに発展されることになる。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
リヴィエールとは?【 作家名 】 パリの下層階級の息子として生まれたリヴィエールは、ほとんど正規の教育を受けず、複製版画の彫版師として身を立てている。1884年までにエッチングを学んだことは、青インクで刷られた作品が何点か残されていることから分かる。1880年代半ばにトゥールーズ=ロートレック、スタンラン、ジョルジュ・オリオール、ウジェーヌ・グラッセらがいたロドルフ・サリのカフェ「シャ・ノワール(黒猫)」のサークルに入った。当時ジャポニスムはそのサークル内でも大変盛んで、カフェ・コンセールで上演した影絵芝居「中国人の影」のセットを作るため、リヴィエールは日本の影絵を研究した。1888年、日本風の多色刷板目木版を始め、全て自刻によって広重や北斎の作品を思わせる連作を制作した。二つの連作木版画集『ブルターニュ風景』(40点 1888−94年)、『海』(6点 1890−92年)を完成した後、さらに板目木版の版画集の制作が予定されていたにもかかわらず、その後多色刷石版画に切り換えた。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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