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あくのいずみ えすたんぷおりじなるしだい6ごうより 悪の泉−『エスタンプ・オリジナル』誌第6号より
ド・フールは象徴主義文学に強い影響を受け、特にボードレールの詩集『悪の華』や『地獄堕ちの女たち』に由来する、ファム・ファタル(妖婦・宿命の女)や女性同性愛等の主題を多く描いた。女性を諸悪の根源、不道徳の象徴とみなす思想は、古くからあるものの、19世紀末のそれは、近代以降の女性の社会進出に対する男性の危惧の顕れとも考えられよう。『エスタンプ・オリジナル』誌第6号に含まれたこの作品は、泉のほとりにうずくまった女性を描いているが、彼女自身が寓意的に悪の源、すなわち「悪の泉」とされている。女性の炎のように立ち上がった髪も、周りの怪しげな植物形態も、彼女の呪われた運命を示唆しているかのようである。アール・ヌーボー的な優美な線と独創的な色使いは、ド・フールの作品の特徴だが、後の装飾デザインにおいてさらに発展されることになる。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
河合新蔵とは?【 作家名 】 大阪府に生まれる。1891年頃東京に移り、五姓田芳柳に学ぶ。その後小山正太郎の不同舎に移る。1900年、満谷国四郎、丸山晩霞、鹿子木孟郎らとともに渡米し、翌年ヨーロッパに渡る。パリではアカデミー・コラロッシュに入ってラファエル・コランに師事。またアカデミー・ジュリアンにも学んだ。1904年に帰国。一時京都に住むが再び上京して太平洋画会に参加。大下藤次郎の水彩画講習所の開設に協力して講師をつとめる。1912年に京都に移住。関西美術院の教授となり、関西美術会の審査員などもつとめた。1913年の日本水彩画会の創立には発起人となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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