優れた版画家の父オーギュストの版画工房で働いていた
ウジェーヌ・ドラートルは、1880年代には彼の住んでいたモンマルトルの風景を白黒の
エッチングで描き始めた。1890年代初めには、先輩である
ゲラールやモラン、
カサットから学びながら、高度な技術を要する多色刷
エッチングを手がけた。父を凌ぐほどの技術を身につけた
ドラートルは50人以上の画家たちの版画を制作し、1909年にはある批評家に全ての版画が
ドラートル風に見えると指摘されるほどであった。彼は特にア・ラ・プペ(a la poupee)という、複数のインクを一枚の版にインク詰めして刷る技法を多用していたが、この作品も線に用いられた黒と赤とが混ざっている点から判断すれば、同じ方法で刷られたものであろう。
ゲラールや
カサットから様式的な影響も受けた
ドラートルは、彼らを通じて
ジャポニスムの要素も取り入れており、この作品でも手前の人物が画面の端で切られている点、画面を縁取る装飾的なデザイン等に日本美術の影響が窺える。(「世紀末から 西洋の中の日本「
ジャポニスム展」図録)