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かふぇこんせーるにて カフェ・コンセールにて
優れた版画家の父オーギュストの版画工房で働いていたウジェーヌ・ドラートルは、1880年代には彼の住んでいたモンマルトルの風景を白黒のエッチングで描き始めた。1890年代初めには、先輩であるゲラールやモラン、カサットから学びながら、高度な技術を要する多色刷エッチングを手がけた。父を凌ぐほどの技術を身につけたドラートルは50人以上の画家たちの版画を制作し、1909年にはある批評家に全ての版画がドラートル風に見えると指摘されるほどであった。彼は特にア・ラ・プペ(a la poupee)という、複数のインクを一枚の版にインク詰めして刷る技法を多用していたが、この作品も線に用いられた黒と赤とが混ざっている点から判断すれば、同じ方法で刷られたものであろう。ゲラールやカサットから様式的な影響も受けたドラートルは、彼らを通じてジャポニスムの要素も取り入れており、この作品でも手前の人物が画面の端で切られている点、画面を縁取る装飾的なデザイン等に日本美術の影響が窺える。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
アルプとは?【 作家名 】 1886年フランスに生まれる。1966年に没する(オランダ、バーゼル)。ワイマール美術学校、パリのアカデミー・ジュリアンに学ぶ。1912年ブラウエ・ライター、翌年シュトゥルムの活動に関わり、16年からはダダの中心的人物として活躍する。1925年にはシュルレアリスムの運動に参加。また1930年にはセルクル・エ・カレ、翌年に「抽象・創造」と、抽象美術の活動にも参加、ダダと抽象美術にまたがる幅広い活動を展開した。絵画の他にも、コラージュ、彩色レリーフ、ちぎり絵のコラージュ(ハピエ・デシレ)、彫刻等を手掛け、更に詩人としても活躍する。1954年ベネチア・ビエンナーレ展で国際彫刻大賞、63年フランス芸術大賞を受賞。1965年ロカルノ名誉市民となる。1958年ニューヨーク近代美術館、62年にポンピドゥ・センターで大回顧展が開催された。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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