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かねみつ まつみ 金光松美
1922年アメリカ、ユタ州に生まれる。1925年帰国し、広島で生活。1940年再渡米。1942年カンザス州フォートライレーイの基地内で初の個展。1948年渡仏、レジェに師事。1951年ニューヨークへ移り、アート・スチューデンツ・リーグで国吉康雄に学ぶ。1962年ニューヨーク近代美術館「14人のアメリカ人」展、トリノ近代美術館「構造とスタイル」に出品。1966年ロスアンゼルスに移る。1967年東京における国際青年美術家展に出品、日本文化フォーラム賞受賞。色彩間の滲みを生かして、叙情的、東洋的な作品をつくる。(「THE HIROSHIMA 広島市現代美術館所蔵作品による」図録 1991年)
カテゴリー:作家
ネオ・ダダとは?【 美術用語 】 1950年代の末、ニューヨークにおいて、ラウシェンバーグとジャスパー・ジョーンズが、あいついで個展を開いた。当時の美術の世界は、抽象表現主義が全盛をきわめていたが、その中で彼らは、日常の具体的、卑俗的な、すぐそれと知れるようなものを画面に登場させ、大胆な画風を示した。ラウシェンバーグは、絵画に布や写真、印刷物などを加えて、雑多なイメージを画面に集めてくるコンバイン・ペインティングを、ジョーンズは国旗や標的などを画面にクローズアップすることで、反芸術の新しい表現スタイルをうちだした。これらの創作活動を、芸術に対する挑戦的な姿勢とみなし、「ダダの再来」という意味でジャーナリストが名付けたものが「ネオ・ダダ」である。日本も1960年の読売アンデパンダン展に、ネオ・ダダ・オルガナイザーズというグループが出品するなど、影響を受けている。ネオ・ダダは抽象表現主義につづき、後のポップ・アートの出現をまつことになる。 |
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