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えれんあんどれじょう エレン・アンドレ嬢
アンドレ嬢は、マネやドガ等、数多くの有名画家たちの売れっ子モデルとなった喜劇女優である。1878年の彼女のヌードを描いたアンリ・ジュルヴェクスの《ローラ》(ボルドー美術館蔵)は、その強い世俗性のため、スキャンダルとなり、サロンから撤去された。ヴィヨンはそんな彼女の中年期を描いているが、凛としたポーズに人気モデルとしての高い気位が感じられる。背景を無地にして対象を引き立てている点に、ジャポニスムに由来する空間処理法の影響が見られる。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
マティスとは?【 作家名 】 1869年フランスに生まれる。1954年没する。はじめは法律を学ぶが、まもなく画家を志す。22歳からパリでギュスターヴ・モローの指導を受け始める。この頃、ルオー、マルケ、ピサロらと知り合う。また、ルーヴル美術館で名作の模写を多数行う。1903年のサロン・ドトンヌ設立に参加する。1905年の同展では、ドラン、ヴラマンク、ルオーらと共に、その大胆な色彩と激しい筆致が注目を集め、半ば嘲笑を込めて「フォーヴ」と呼ばれた。1909年にロシアのシチューキン家のために大作〈ダンス〉を、また32年にはアメリカのバーンズ財団のために壁画〈ダンス〉を制作するなど、各地で活躍する。また1921年からは、パリとニースを往復する生活を送る。1940年のパリ陥落の後、ブラジルの渡航を試みるものの南仏に留まる。戦後も、切り絵、挿絵本、タピスリーなど幅広い活動を続け、特に南仏ヴァンスの礼拝堂の装飾は、彼の才能の集大成と言われる。20世紀美術においてピカソと匹敵する成果を残した一人といえるだろう。 |
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