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えすたんぷおりじなるし だい5ごうのひょうしでざいん 『エスタンプ・オリジナル』誌第5号の表紙デザイン
『エスタンプ・オリジナル』誌はアンドレ・マルティによって、1893年から1895年の間にパリで発行された、100部限定のオリジナル版画集で、40点の版画が年4回に分けて配本された。1年分の料金は200フランだったが、ロートレックやゴーガン、ナビ派のボナールやドニ等当時の若手の前衛作家たちを集めた版画集であったため、批評家にも好評を受けて成功した。マス・コミュニケーションの手段としてもてはやされてきた版画を、創造的美術の手段として刷新することを謳った『エスタンプ・オリジナル』誌は、大部分が最新の技術を駆使した多色刷の石版画作品だったが、その他にエッチングや木版画、立体版画等も含まれていた。また様式の上でも、ジャポニスムを吸収した作家たちにより、大胆な構図や画面の平面化、色彩上の実験が推し進められた。マルタンの表紙は、1855年にパリの国立図書館が入手した歌麿の『画本虫撰』の一図と酷似しているが、マルタンは瓢箪に葡萄のつるも絡めさせ、それをさらに版画用のプレス機のハンドルに絡めたことで、当時の創作版画における日本美術の影響をユーモラスに示唆したのかもしれない。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
五姓田義松とは?【 作家名 】 1855年東京都に生まれる。チャールズ・ワーグマンに入門。1874年横浜から東京に移り、家塾を開く。1876年工部美術学校に入学し、フォンタネージの指導を受ける。翌年工部美術学校退学。同年の第1回内国勧業博覧会に出品し鳳紋賞を受ける。1880年渡仏。フランスでレオン・ボナに師事する。1882年パリのサロンに入選。翌年にも再び入選する。1887年ロンドンに移り、その後アメリカに渡る。1889年帰国し、明治美術会の結成に参加。1890年父芳柳と共にアメリカへ行く。同年帰国。また、この年の明治美術会第2回展に出品。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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