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しょくぶつのそうしょくてきおうよう だい1へん だい2へん にら だい2へんより 『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より
グラッセは19世紀末のヨーロッパにおける装飾美術運動の中心的な人物で、本の挿絵やポスターの制作の他、ジュエリーやステンドグラス等の装飾美術全般で活躍した。パリで装飾美術を教えたことから、最も優秀な生徒たちを集めて、装飾デザインの模範本としての『植物の装飾的応用』を編纂した。全2編のアルバムは各72枚から成り、一つの植物に対して1枚の植物学的描写と2枚のデザインがついていた。従って3枚を並べると、植物が抽象化されてデザインに組み入れられていく過程を見ることができる。デザインは室内装飾のありとあらゆるものに及び、壁紙、皿、花瓶、カーペット、家具等、自由自在に展開された。植物の形態の装飾美術への対応は、西洋美術においても昔から見られるが、デザインのモティーフとしてあまりとりあげられることのなかったニラやセロリなどの植物を採用している点に「自然に還って」デザインを刷新しようとしたグラッセの思想が窺える。それぞれの作品制作は、グラッセの生徒たちの手に委ねられたが、デザイン自体はグラッセによるものである。生徒たちの中には1898年に『植物の装飾的応用』に倣って『装飾における動物』を執筆したヴェルヌイユや、アウグスト・ジャコメッティ等、後の装飾美術界を担う有望な若手のアーティストが多くいた。(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作品
アペルとは?【 作家名 】 1921年オランダに生まれる。2006年没する。1940年から43年にかけて、国立美術アカデミーで学ぶ。1946年にはオランダで初個展を開き、パリのサロン・ド・メにも出品。1948年にはアレシンスキー、コルネイユらと共に、コブラ(参加した画家達の出身地コペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字をつなげたもの)を結成する。戦後の抽象における表現主義的傾向を代表するこのグループは、個人的幻想を直接に表現しようとした。アペルは、ナイフで絵具をキャンバスに叩きつけたり、ひきずったりして描いた。民族芸術や子供の絵にも興味を示し、色や線というよりは創造行為の熱っぽさを反映した荒々しいイメージを重視した。アンフォルメルや、日本の具体グループ、またアメリカの抽象表現主義との関わりもよく指摘されるところである。1954年にはベネチア・ビエンナーレで奨励賞を受賞、58年にはパリ、ユネスコ本部の壁画も手がける。また世界各地で個展が開かれている。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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