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げいじゅつをしょうれいするるい14せい るいどぶーろーにゅのげんがによる 芸術を奨励するルイ14世[ルイ・ド・ブーローニュの原画による]
この作品は宮廷役人でもあり、王家の首席画家で、さらに美術アカデミーの院長を務めたルイ・ド・ブーローニュによって考案され描かれたもの。1872年、トマサンがアカデミー会員となるために彫ったものである。ルイ14世は後に「王室の収集室」のために、銅版画を彫るよう命じたことによって銅版画の祖となる。フランスで銅販画家が美術家として認められるようになったのは、ルイ14世の功績である。この版画は一種の寓意画となっている。ここでの主題は1648年に創設された絵画・彫刻の王室アカデミー(アカデミーロワイヤル)をことさら高揚することを目的としている。この版は1724年に版画家H.S.トマサンに依頼されたもので、彼はこのアカデミー会員となるための作品としてこれを彫った。当時アカデミーの院長であり、王室首席画家であったルイ・ド・ブーローニュの作品を版画で復元したものであった。この版画は2人の女性によって特色づけられるように、彫刻と絵画の和合を表現している。この女性たちはそれぞれの特質となるべきものを持ち、絵画と彫刻の二つの美術の神に従っている。これは、ミネルヴァ(智恵、理性、最高度の霊感の女神、ここではトリトニアと呼ばれている)からの使者を表している。ミネルヴァは上方にルイ14世の肖像画をかかげることによって、アカデミーの創設者としてのこの偉大な王の統治下で、絵画と彫刻がいかに高められたかを示している。さらに、遠方には切り立った岩の上に建てられたこの女神の神殿があり、完成に到達することの困難さを示そうとしているのである。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
コブラとは?【 美術用語 】 1948年にアムステルダムで結成された芸術家グループ。カレル・アペル,アスガーヨルン,コルネイユらが実験美術家と称して集まったものである。コブラの名称は、結集した作家の生国が、デンマーク、ベルギー、オランダの三国にわたっていたことから、それぞれの首都のコペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字をとってコブラと称するようになった。激しい筆触、鮮やかな色彩による表現主義的な作風が共通し、また、精神障害者や子供による作品に表現の可能性を見い出し、アンフォルメルの運動とも深くかかわりながら、ヨーロッパでの第二次大戦後の新しい絵画運動の代表のひとつとなった。しかし、グループとしての活動は短命で、3回のグループ展を開催し、3年後の1951年に解散している。 |
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