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さるたんのきさき かるるう゛ぁんろーのげんがによる サルタンの妃[カルル・ヴァン・ローの原画による]
この主題には、18世紀の美術の中で重要な位置を占めた、異国趣味をとり上げている。異国趣味のねらいは、知識や想像から描かれた遠い異国の風物や習慣に接することによって、異国への思いをかきたたせることにある。18世紀にいたるまで、ヨーロッパにおける異国趣味は、装飾美術の分野に置いて顕著であった。最初は東洋−オスマン帝国(トルコ帝国)やペルシャ−と密接な関係があり、また、アメリカ大陸の発見ももう一つの起因になった。しかし、18世紀の美術愛好者たちの情熱を最もかき立てたのは、中国美術と日本美術であった。《サルタンの妃》はカルル・ヴァンローの下絵にもとづいてヴォーヴァルレが彫刻したものであり、下絵はロシアの皇后カサリンが18世紀末まで持っていたが、現在ではレニングラードにあるエルミタージュ美術館に収蔵されている。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
ユンクとは?【 作家名 】 1885年、チェコのモラビア地方ミクロフに生まれる。1901−08年、ウィーン工芸学校に在学。A.ロラー、F.ミュルバッハ、C.O.チェシュカ、B.レフラーに師事。学生時代、動物アルファベットの木版画集を発表(ユリウス・ツァイトラー出版社、ライプツィヒ、1909年)。キャバレー・フレーダーマウスのために、プログラムやポスターをデザイン。その結果ローゼンバウム社に採用され、広告印刷物のデザイナーとして関わる。『ヴェル・サクルム』誌、『エルトガイスト』誌、最初のオーストリア表現主義の雑誌『デア・ルーフ』誌等。ウィーン海外通信紙やコミカル紙のイラストレーターを務める。ミートケ画廊「ディ・ユンゲン展」(1906年)、「クンストシャウ」(1908年)に参加。ユンクは著述家としても活動しており、A.レッスラーは『労働者新聞』等に彼の戦争日記の抜粋を掲載。ウィーン工房のためのポストカードや他の印刷物をデザインし、ウィーン工房年鑑にイラストを掲載。ロープマイヤー社のためにガラスや彫刻のデザインを、ローゼンバウム社のために美術印刷物を制作。1915年カルパチアで歿。(「ホフマンとウィーン工房展」図録 1996年) |
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