ぐるぐるアートワード
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ヴィラ コロマン・モーザー



ヴィラト



ヴィルクハーン



ヴィンマーヴィスグリル



ヴィーナスの化粧



ヴィーナスの誕生



ヴェスティエ



「ヴェル!」



「ヴェル・サクルム」



ヴェルサイユ宮殿内の大回廊で開かれたゲームを楽しむ王と王妃[シャルル=ニコラ・コシャン(子)の原画による]



ヴェルサイユで開かれた5月の舞踏会[ルネ=ミシェル・スロッズ(ミケランジュ)の原画による]



ヴェルサイユの森の中の噴水劇場



ヴェルテス



ヴェルネ



ヴォジラール通り



ヴュイヤール



ヴラマンク



ヴンダーリッヒ



エイヴリー



永遠の春


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 作家(1701)

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おうひまりーあんとわねっと ふらんそわでゅもんのげんがによる

王妃マリー=アントワネット[フランソワ・デュモンの原画による]

作家名:ピエール=アレッサンドル・タルデュー
制作年:19世紀彫版
技 法:ビュラン
ドイツ皇帝フリードリッヒ1世とマリア・テレジア皇后の娘であるマリー=アントワネット・オーストリア大公は15歳の若さで、1770年にフランス皇太子(ルイ16世)と結婚する。上品、活発でエスプリに富んだマリー=アントワネット王妃は旺盛な気力の持ち主でもあったが、しばしば軽率な行動をとり、1793年、夫の死の数ヶ月後に斬首刑に処され、悲劇的な死をとげた。革命の事態の重大さに気づかなかった彼女は、その最も早い犠牲者となったのである。彼女の高尚な美的感覚や宮廷のエチケットから脱した生活様式、また裁判の時に、彼女が示した誇り高い態度などから、彼女は後に伝説的人物となった。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)


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五姓田義松とは?【 作家名 】

1855年東京都に生まれる。チャールズ・ワーグマンに入門。1874年横浜から東京に移り、家塾を開く。1876年工部美術学校に入学し、フォンタネージの指導を受ける。翌年工部美術学校退学。同年の第1回内国勧業博覧会に出品し鳳紋賞を受ける。1880年渡仏。フランスでレオン・ボナに師事する。1882年パリのサロンに入選。翌年にも再び入選する。1887年ロンドンに移り、その後アメリカに渡る。1889年帰国し、明治美術会の結成に参加。1890年父芳柳と共にアメリカへ行く。同年帰国。また、この年の明治美術会第2回展に出品。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)

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