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どまりにぃこうしゃく るいとっけのげんがによる ド・マリニィ侯爵[ルイ・トッケの原画による]
この版画は1755年にアカデミーのサロンにトッケが出品したマリニィ侯爵の肖像画の複製である。現在、ヴェルサイユ美術館に保管されている。パリで生まれたアベール・フランソワ・ポワソン(マリニィ侯爵)はポンパドゥール公爵夫人の息子である。彼はヴオディエール侯爵、マリニィ侯爵、そしてメレー侯爵の名で知られ、芸術の分野において最も権威のある地位の一つである「建造物総監に任命されている。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作品
鏑木清方とは?【 作家名 】 1878年東京都神田に生まれる。1972年鎌倉市で没する。本名は健一。明治時代の戯作者条野採菊の子として生れ、13歳で水野年方に師事、挿絵画家として明治風俗を情緒ゆたかに描いた。富岡永洗(1864−1905)や梶田半古の影響も受け、日本美術院や烏合会などで認められたが、文展開設以後は官展に出品した。金鈴社を結成、官展に新風をもたらした。帝展審査員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、帝室技芸員となり、昭和29年(1954年)には文化勲章を受けた。明治の面影に限りない郷愁をよせ、文学的教養と都会的感覚によって、清新な芸術味ある風俗画を遺した。代表作は『筑地明石町』(1927)。文筆にも長じ、自叙伝『こしかたの記』(1961)、随筆集『続こしかたの記』(1967)などがある。 |
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